そこに線路があるかぎり

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【和歌山県】<あの頃の鉄道風景> 古豪ディーゼルカーに乗って路地裏の終着駅へ 紀州鉄道線の旅〔紀州鉄道線/御坊~西御坊〕(2009年)

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和歌山県に、紀州鉄道という鉄道が走っています。 
紀州、すなわち紀伊の国とは、今の和歌山県三重県の一部を指す、かなり広い地域を指す呼称ですが、その「紀州」の名を冠する紀州鉄道は、その広大なイメージの名に反し、わずか2.7kmの路線を走る小さな小さな鉄道です。かつてはひとつの鉄道会社としては日本一短い路線でしたが、2002年に千葉県の芝山鉄道が2.2kmという短い路線で開業したため、日本一の座をそちらに明け渡すことになってしまいました。
2009年8月、日本で2番目に短い鉄道路線紀州鉄道に乗ったときのことをご紹介します。

 紀州鉄道について

紀州鉄道が走っているのは御坊という街。御坊は「ごぼう」と読みます。始発の御坊駅から終点の西御坊駅まで、学門(がくもん)、紀伊御坊、市役所前という3つの中間駅があり、路線の全てが御坊市内で完結します。紀州鉄道というより、御坊市民鉄道とでも名乗ったほうがよいのではないかと思える体裁ですが、もともとこの鉄道は「御坊臨港鉄道」という身の丈にあった名前で、街はずれにあるJRの御坊駅御坊市街地、港をを結ぶために敷かれた路線でした。 
かつて、日本全国に国鉄が路線を伸ばしていった時代、未知の交通機関である鉄道は市民に嫌われ、街外れに駅が設置されることが多くありました。地方のJRの主要駅が必ずしも街の中心部にないことからもそういった傾向が全国的に見られたことが察せられます。 
ところが、ひとたび鉄道が開業してみると、人、モノの流れは鉄道中心のものに大きく変わり、その恩恵を享受せねばということで、今度は国鉄駅と市街地を結ぶ、地元資本による地方私鉄が各地に誕生してゆきました。 
御坊臨港鉄道もこうした私鉄のひとつでしたが、モータリゼーションの進展に伴い、しだいにその存在意義を失ってゆくことになります。とうとう会社存亡の危機にまで陥ったとき、東京の不動産会社がこの鉄道を買収することになり、「紀州鉄道」と名を改めて晴れて鉄道路線の存続という道を歩むことになりました。この買収は、「鉄道会社の不動産部門」という信用を得るため、また、紀州の明るく温暖なイメージで会社のイメージアップを図ろうという狙いがあったと言われています。 
そうした歴史から紀州鉄道という会社は、社名に冠した鉄道事業ではなく、不動産事業をメインとした会社であり、軽井沢や伊豆、箱根などでホテルを営業していたりするので、関東の人にも意外と馴染みがある会社かもしれません。 

紀州鉄道の古豪ディーゼルカー

この紀州鉄道、2009年8月には、古典的なディーゼルカーが走っていました。キハ603という車両で、1960年に製造されて大分交通で活躍しましたが、大分交通鉄道路線の廃止に伴い、1975年に紀州鉄道にやって来ました。もう50年近くも走り続けているとあってか、さすがに老朽化も進んできており、当時はこの車両は主に週末のみの運転で、平日は1985年製のレールバスが走っていました。このレールバス兵庫県北条鉄道から中古で購入したものですが、このときすでに2両目も購入して整備中とのことだったので、この2両目の整備が済み次第、キハ603も引退することになると言われていました。
紀州鉄道では1両の車両が行ったり来たりするだけで1日の全ての運行がまかなえるので、予備をいれて2両あれば事足りてしまうというのが、なんともミニ鉄道ぶりを表していますが、いずれにしても、古典ディーゼルカーの旅を楽しめるのも残りわずかとなっていました。 最終的にキハ603は2009年10月に定期運用を退いたそうですので、このチャンスに乗っておけたのは良かったです。

JR御坊駅の0番線から発車

紀州鉄道の始発駅はJR紀勢本線の御坊です。

JRからの乗り換えでいったん改札口を出ると、駅のきっぷ売り場には「紀州鉄道の乗車券は車内で購入してください」という旨の表示があります。改札口で「紀州鉄道に乗りたいのですが・・・」と言うと、切符なしでそのまま通してくれました。自動改札で鉄壁の守りを固める大都市圏では考えられない大らかさです。

御坊駅のJRホームの片隅に間借りするように、紀州鉄道の乗り場がありました。ホームにはすでに古典ディーゼルカーがエンジン音を響かせて待っていました。いまのディーゼルカーとは違う、重く響くディーゼル音です。

 

クリームと緑のツートンカラーに塗られた車両は、見るからに重厚で歴史を感じさせますが、車内に入ると木の床が独特の香りを漂わせていて、目と耳だけではなく、嗅覚まで動員して昔の列車の旅に思いを馳せることができます。 

ほどなくしてガラガラと扉が閉まり、「さあ、走るぞ」とばかりに、ディーゼル音をひときわ大きく響かせて御坊駅を出発しました。すぐに左にカーブしてJRの線路から離れると、田園地帯の中を走って行きます。8月も下旬になり、まだまだ暑い日が続きますが、田んぼの稲穂は色こそ緑なもののこうべを垂れ始めていて、秋が近いことも感じさせられます。キハ603にはもちろん冷房などついていないのですが、窓から田園を渡る風が心地よく吹き込んできます。
やがて家並みが増えてきたと思うと最初の駅、学門(がくもん)に停まりますが、ここまでで1.5km、すでに全線の半分以上の行程が過ぎています。学門駅は、すぐ近くに県立日高高等学校附属中学校があり、学校の門の近くだから学門、という駅名なのかと思われます。
ここから御坊の古い街並みの中に短い間隔で駅が続き、路地をしずしずと進むように走ると終点の西御坊駅に到着しました。 

御坊駅から2.7km、わずか8分の旅でした。

西御坊駅は木造の古色蒼然たる木造の駅舎で、幅の狭いホームが路地裏に無理矢理駅を押し込めた感じがして面白いです。終点側の線路上には無造作に板が打ち付けられた柵ができていて、それに密接して停車する古典ディーゼルカーは博物館に保存されている車両のようにも見えます。

昔はここから700m先の日高川駅が終点でしたが、1989年に廃止されてしまいました。廃止から20年が経っていますが、西御坊駅から見る限りでは、まだ日高川に向かう線路は残っていました。 

古典ディーゼルカーは、しばらく息を整えるように休憩した後、御坊に向けて折り返して行きました。体を震わせて家々の隙間の線路を走り去る姿を見送りますが、なかなか姿が消えません。300m先の次の駅に律儀に停車したあと、家並の間にカーブをきり、ようやく見えなくなりました。 

列車のいなくなった西御坊駅

紀伊御坊駅の側線では新旧車両が競演

西御坊から2駅先の紀伊御坊まで歩いてみました。2駅と言っても1㎞少々なので、歩いてもさほど時間はかかりません。
側線にレールバスと、その向こうにはキハ603と同型車で、一足先に引退したキハ604が停まっているのが見えました。その横に、本線を走るキハ603が並びます。

キハ603の西御坊行きが紀伊御坊を発車しました。

カーブを曲がって町並みの向こうに消えていきます。

紀伊御坊駅のホームから見た側線。キハ604は錆びも浮いていて、引退からの時間の経過を物語っています。

縦列停車なのでレールバスの姿は良く見えませんが、キハ604よりもひとまわり小さな車体であることがわかります。

西御坊で折り返してきたキハ603の御坊行きがカーブを曲がってやって来ました。

紀伊御坊駅にはレールバスとキハ604が停まる右側の側線の他、左側への分岐もあり、こちらは検修庫につながっています。

紀伊御坊駅は1本の線路を挟んで両側にホームがありますが、向こう側のホームは使われていませんでした。

 

この列車に乗って御坊に戻ります。

ミニ路線でマイペースに走る古典ディーゼルカー紀州鉄道は、この車両にはこの路線、この路線にはこの車両、と思わせるベストマッチと言えそうです。せせこましい都会の鉄道とは対照的に、古い街に溶け込んで、いまも現役で地元の人々の足に徹してのんびりと走る古典ディーゼルカーの姿は、いい老後を送っているなあ、と感じさせられます。 

                                   

2009年8月

 

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