富山駅から岩瀬浜までの7.7㎞を結ぶ路面電車が富山地方鉄道の富山港線です。この路線は富山駅から奥田中学校までの1.2㎞が道路の上を走る併用軌道、その先、岩瀬浜までが専用軌道となっていますが、車両は路面電車タイプの低床車両が使われており、いわゆるLRT(ライトレールトランジット)と呼ばれる路線になっています。
この路線はもともとは国鉄~JR西日本の路線で、通常の電車が走っていましたが、2006年にLRT化された珍しい路線です。そのLRT化目前の2006年1月、富山港線の普通鉄道としての最後の姿を見に行きました。
朝と夜だけしか走らない電車
JR富山港線は富山~岩瀬浜8.0㎞を結ぶ路線でした。もともと富岩鉄道という私鉄路線だったため電化されたのも早く、富山駅で接続する北陸本線が交流電化なのに対して富山港線は直流電化となっているのが特徴です。1984年までは2両編成の直流用の旧型電車が活躍していましたが(ラッシュ時は2両を2本つないだ4両編成で運転)、その後は北陸本線でも使用される交直両用の3両編成の電車が使用されることになったものの、日中の利用客の少ない時間帯では3両編成の電車では輸送力が過剰だったのか、2001年からは昼間は1両で走れる小型のディーゼルカーが使用されていました。
せっかく富山港線に乗るなら交直流の電車に乗りたいと思い、朝に富山に着くために乗ったのは、寝台特急北陸号。この当時は、東京から北陸方面へは、寝台特急北陸と急行能登という2本の夜行列車が走っていて、夜間の移動も大変便利でした。
北陸号は上野発23:03。
北陸号の富山着は5:30過ぎとかなり早く、眠い目をこすり富山駅のホームに降りてもまだ真っ暗です。まだ寝足りないのと、ほどよく時間をつぶすために富山港線に乗って岩瀬浜まで往復して富山に戻ってくると、あたりは少し明るくなり始めました。
富山駅
当時の富山駅は地上駅で、駅舎から一番遠い7、8番線が富山港線の乗り場でした。北陸本線の新潟方面のホームから、富山港線ホームに3両編成の急行型電車が停車しているのが見えます。
右側の富山港線ホームに停まる車両は、紫とクリームのツートンカラー、左の北陸本線ほーうに停まる車両は白地に青帯というカラーです。北陸地区の電車は白地に青帯が標準でしたが、富山港線で使われる電車は、LRT化を前に、かつて国鉄時代からJR初期にかけての頃の交直流急行電車の標準色がリバイバル塗装されていました。
もともと急行用として誕生した車両なので、デッキ付き、座席はボックス席です。富山港線のような短距離で駅間も短い路線には不向きな車両といえます。
北陸本線ホームから富山港線ホームへは地下道で連絡。地下道は8番線の先にも細く続いており、こちら側にも小さいながら出口がありました。
大型のヘッドライトが古さを感じさせます。
富山港線のホームの屋根は2両分程度しかありません。
ホームには日中使われているディーゼルカーのデザインでの顔はめパネルがありました。
岩瀬浜駅
富山駅から市街地の中を走り、20分ほどで終点の岩瀬浜に到着。
岩瀬浜はホーム1面に線路1本の小さな終着駅です。木造の駅舎があり、線路は行き止まりになっています。
東岩瀬駅
岩瀬浜から折り返しの列車に乗り、一つ目の停車駅、東岩瀬で降りました。
木造のホーム上屋と駅舎が歴史を感じさせます。
東岩瀬を発車した列車はすぐに次の大広田に停車します。駅間が短いので、東岩瀬のホームからも大広田に停車する列車の姿が良く見えます。
こじんまりとしていますが、いい雰囲気の東岩瀬駅。
富山港線は1時間に1~2本しか運転されていないので、東岩瀬からは歩いて移動することにしました。さきほど東岩瀬のホームから見えた大広田駅。ホームはカーブしていて、駅舎は近代的なものでした。写真の奥が東岩瀬側です。
大広田の次の蓮町を過ぎ、城川原が見えてきたところで岩瀬浜行きの電車がやって来ました。
まっすぐな線路を去りゆく岩瀬浜行き列車。
城川原駅
城川原は、富山港線で唯一の交換可能駅です。交換が行われるのは列車が多い時間帯だけなので、いったん駅を通り過ぎ、富山寄りから交換風景を見てみることにしました。
まず、岩瀬浜からやってきた富山行きが近づいてきます。
そして岩瀬浜行きの列車が左側のホームへ。
今度は駅のホームに移動しました。今度は富山からの岩瀬浜行きが崎に到着。
陽が高くなってきて、さきほどは前面にかかっていた影もなくなりました。
岩瀬浜発の富山行きが入って来ます。
この列車に乗って富山に戻りました。
木造駅舎や国鉄急行型車両など、ミニ路線ながら懐かしさを感じることができたJR富山港線の最後の姿を見ておくことができたのはよかったです。LRTになってからは訪れる機会はありませんが、近代的に生まれ変わった富山港線にもまた乗ってみたいと思っています。
2006年1月