名古屋を中心として中京圏に多くの路線網を持つ名古屋鉄道は、名鉄(めいてつ)の呼び名で親しまれる大手私鉄です。かつては近畿日本鉄道(近鉄)に次いで私鉄第2位の路線延長を誇っていたものの、相次ぐ閑散路線の廃線により現在では東武鉄道に抜かされて第3位となってしまいましたが、それでも444.2㎞もの長さの路線を持つ名鉄が、巨大な私鉄であるという印象は変わりません。
いくら路線が長いとはいえ中京圏しか走っていない私鉄である名鉄ですが、全国の鉄道好きにその名が知られている理由として、パノラマカーの存在があります。私が幼いころ、運転席が2階にあって、車両の最前部まで乗客が座る座席がある列車といえば、小田急のロマンスカーか名鉄のパノラマカーしかなく、どちらもあこがれの存在でした。
そんなパノラマカーが間もなく引退するというタイミングの2008年5月から6月にかけて、パノラマカーに乗りつつ、名鉄沿線を少しだけめぐってみました。
名鉄パノラマカーとは
名鉄パノラマカーとは1961年(昭和36年)に登場した7000系と、その改良型で見た目もほとんど変わらない7500系のことで、日本初となる、運転台を2階に上げて1階最前部までを客席とした前面展望構造が特徴の車両です。
前面展望の車両は、名鉄パノラマカー登場の2年後、1963年に小田急ロマンスカーにも導入され、しばらくの間、前面展望の列車と言えば名鉄パノラマカーか小田急ロマンスカー、という時代が続きますが、いずれも1952年に登場したイタリアのセッテベッロ(あるいはセッテベロ)の影響を受けたと言われています。
パノラマカーは普通列車でも運用
名鉄パノラマカーは、座席指定制で指定席の料金がかかる特急用としての活躍はもちろんのこと、驚くべきことに特別料金が不要な列車にも使用されており、その場合は乗車券だけで乗ることができました。もちろん展望席も、空いていれば誰でも自由に座ることができました。ここが、同じ前面展望ができる特急車両である小田急ロマンスカーとは大きく違う点で、「前面展望と言えば予約困難な特別な座席」と思い込んでいた関東人にとっては信じられず、非常にうらやましく思ったものです。
なお、2008年5月には、すでにパノラマカー7000系は有料列車での運用はなく、すべて特別料金不要な列車としての運用となっていました。そんな運用の中から、支線区から本線に入って名古屋を通り、また支線区へと直通するという変化が面白そうな、内海(うつみ)発弥富行き普通列車に乗ってみました。
内海駅で発車を待つパノラマカー。最前部の展望席、そしてその後ろに続く連続窓と、なんとも特別感のあるデザインの車両ですが、これで普通列車です。こんな列車に気軽に乗れる名鉄沿線の人がうらやましくなります。
向こう側に並ぶのは「パノラマスーパー」1000系。7000系の後継ともいえる展望車両ですが、運転席が1階、客席が2階と、パノラマカーとは逆転しており、客席からはより眺望が楽しめるようになっています。パノラマスーパーは座席指定券が必要な特急列車としての運転です。
パノラマカーに乗車。いちばん前のドアから車内に入るとすぐに展望席が広がっています。
内海を発車し、知多半島の緑の中を走って行きます。やはり最前面からの眺めは迫力満点。これで特別料金不要な普通列車なのですから驚きです。
知多半島東部の河和(こうわ)からの路線と合流する富貴では、少々停車時間がありました。
左の列車が進んでいくのが河和方面。内海へは右のほうに線路が続いています。
普通列車ですので、すべての駅に停まりながらのんびりと走って行きます。聚楽園では、2本の通過列車に追い抜かれました。
パノラマカーの前頭部。運転席へは、ボディにつけられた足掛けを使って出入りします。展望席のガラスは平面ガラスを組み合わせてあります。高価な曲面ガラスではなく平面ガラスを使う事でコストダウンを図っています。
大都会名古屋を通り、また郊外に出てのんびり走り、終点の弥富に到着。内海発は16:06、弥富着は18:39。2時間33分の長旅でした。
弥富は標高-0.93mと、地上駅でありながら海面より低いところにあります。JR関西本線の駅の片隅を間借りするように名鉄のホームが1つだけある構造で、向かいはJR関西本線の乗り場です。また、ほど近いところに近鉄の弥富駅もあり、名古屋へのアクセスは近鉄かJRが圧倒的に早いため、対名古屋の名鉄のシェアは相当低いのではないかと思います。
パノラマカーの行先表示はパネル式で、乗務員さんの手によって変えられます。
この列車は折り返し岡崎行きになりますが、岡崎市の名鉄の中心駅は東岡崎駅であり、この列車も東岡崎行きです。それどころか、岡崎駅には名鉄には乗り入れていないのですが、堂々と「岡崎」の表示を出しているのが面白いです。
運転士さんの運転席への出入りも大変そうです。なお、同じように展望席があり2階に運転席のある小田急ロマンスカーでは、車内からハシゴで運転席に出入りしています。
岡崎に向けて弥富を出発。
なにもないホームが印象的な西枇杷島駅
日を改めて、西枇杷島駅に来てみました。ここは名古屋から3駅目と、都会の中にある駅ですが、なにかと面白い駅です。
この駅は上下線とも待避線をもつ構造ですが、ホームには屋根やベンチなどはなく、ただ駅名標だけが建っているという、非常にシンプルなつくりになっています。
通過していく名古屋方面の列車。うしろで頭上を越えているのはJR東海道線と東海道新幹線です。
この駅の名古屋寄りには枇杷島分岐点と言われる、岐阜方面と犬山方面の2つの路線が分かれる地点がありますが、その分かれた2つの線路の間を結ぶように車両留置線があり、2つの路線と留置線で線路が三角形に敷かれているのが特徴です。
名古屋方面からカーブを曲がって快特岐阜行きがやって来ました。
急行岐阜行きも通過していきます。
パノラマカーの普通佐屋行きがやって来ました。非常にすっきりとした西枇杷島駅のホームが印象的です。西枇杷島駅の駅舎は右側にある茶色い三角屋根の建物です。2本のホームと駅舎の間は構内踏切でつながっています。
名古屋寄りから見た西枇杷島駅。ちょうど待避線に回送列車が停車して、快特の通過待ちをしています。手前の大きな踏切は一般道のもので、ホームからの階段の下にあるのが駅舎とをつなぐ構内踏切です。
留置線を見に来ました。ちょうどパノラマカーも停まっていました。
このあたりの線路がデルタ線になっていることがわかる風景。向こうの築堤を走るのは犬山線の電車です。左が犬山方面、奥が枇杷島分岐点を経て名古屋方面。奥から右手に架線柱が続いているのが見えますが、これが岐阜方面の本線で、西枇杷島駅は右手にあります。そして手前の車両が停まっている留置線が、左の犬山線と右の本線を繋いでいます。
踏切からパノラマカーの顔をじっくり眺めることができました。
再び西枇杷島駅に戻って来ました。岐阜寄りの踏切から行き交う列車を見ます。
駅舎にやってきました。上を走るJRの列車と、西枇杷島を通過する名鉄の列車のタイミングがうまく合いました。どちらも本数が少ないわけではないですが、いいタイミングで2つの列車が重なるチャンスはなかなかありません。
駅舎からホームへ続く構内踏切の遮断機は改札口を入ってすぐのところにもあり、停車する列車がやってくるすこし前にならないと遮断機が開かず、ホームに入れない仕組みになっていました。通過列車が多く、ホームに待合スペースもなにもないこの駅ならではの特別ルールです。西枇杷島は普通列車しか停車せず、普通列車の本数も日中は1時間に2本程度のものなので、こうした運用をしても問題ないのでしょうが、大都会名古屋からわずか3駅しか離れていない駅とは思えない、のんびりした感じです。
西枇杷島駅から、ひとつ名古屋寄りの東枇杷島駅まで歩いてみました。駅の間には庄内川がながれています。
東枇杷島駅は、西枇杷島駅とうって変わって、屋根もある普通の駅。ここは犬山線と合流したあとなので、犬山線の列車の分だけ、停車列車の本数も増えます。
猿投駅と尾張瀬戸駅
名古屋から少し足を延ばして、三河線という支線の終点、豊田市にある猿投(さなげ)駅に来てみました。三河線はかつてはこの先、西中金(にしなかがね)まで路線を延ばしていました。乗客数の減少によりコストダウンのために猿投~西中金の電化設備を撤去してディーゼルカーでの運転となりましたが、それでも赤字が増え続け、とうとう廃線となってしまいました。
構内の車庫に停まっている7700系車両は、側面がパノラマカーそっくり。展望席こそありませんが、パノラマカーファミリーの一員として、支線区の特急列車などにも使用されていた車両です。今は普通列車として余生を送っています。
右側に見えるのは、名古屋市営地下鉄直通用の車両。地下鉄直通の列車は豊田市までしか来ませんが、回送列車としてここ猿投までやって来ます。
豊田市で愛知環状鉄道に乗り換え、瀬戸市駅で名鉄瀬戸線に乗り換えて、瀬戸線の終点尾張瀬戸駅に来ました。2024年のいまでこそステンレスの車両ばかりになってしまった瀬戸線ですが、この頃はまだ赤い車両ばかり。釣り掛けモーターという古い駆動方式の車両も多く活躍していました。この左の車両も、見た目は近代的ですが、足回りは旧式の車両のものを使っていたため、モーターも釣り掛け式で、独特の古めかしい音を奏でて走っていました。
神宮前駅と須ヶ口駅
名鉄の要衝のひとつ、神宮前駅。ちょうど、パノラマカーの6両編成の急行がやって来ました。パノラマカー7000系には、4両編成と6両編成の2タイプがあります。
この車両の先頭部の行先表示は、人力での交換が必要なプレート式ではなく、電動式になっていました。
連続窓がかっこいいです。
豊橋方面からやってきたのは、3両編成の1600系。支線区に直通する特急列車用に造られた車両ですが、3両として走っていた期間は意外と短く、1両は廃車、2両は改造し他車両と連結と言う形になりました。
神宮前駅から、須ヶ口駅に移動しました。ここには車庫があり、ホームから隣接する車庫の様子を見ることができます。
赤い塗装の一般車、白い塗装の特急車、ひと昔前の名鉄の光景が広がっています。
本線にはパノラマカーが走ってきました。
名車パノラマカーや白い塗装の特急車といった、いまでは見られない車両や、いまやすっかり数を減らした赤一色塗り一般車が活躍する2008年の名鉄の風景は、時代の移り変わりや、なつかしさを感じさせるものでした。
2008年5月