石川県金沢市周辺に路線を持つ北陸鉄道という私鉄があります。かつては国鉄北陸本線の駅から近郊の町や山中温泉、粟津温泉、片山津温泉などの温泉地を結ぶ多くの路線を有していましたが、多くの路線は昭和40年代ごろから順次廃止となり、2022年現在は金沢市の野町(のまち)から白山市の鶴来(つるぎ)まで13.8㎞を結ぶ石川線と、金沢市の北鉄金沢から内灘町の内灘(うちなだ)の6.8㎞を結ぶ浅野川線の2路線、計20.6㎞だけが残っています。北陸鉄道の多くの廃止路線の中でもいちばん最近まで残っていたのが石川線の末端部、鶴来~加賀一の宮 2.1㎞で、2009年11月1日付で廃止となりました。廃止も間近となった2009年8月、石川線に乗って間もなく役割を終える終着駅、加賀一の宮駅を訪れました。
元東急の電車に乗って加賀一の宮へ
石川線の始発駅、野町は、金沢市内の住宅街の中にあります。他の鉄道路線との接続はなく、繁華街が近いわけでもないので、なぜここにターミナル駅があるのか不思議に思いますが、かつてはここから市の中心部へ向かう市内電車が接続していたのだそうです。現在は市内電車から代わったバスが市内中心部や金沢駅とのアクセスを担っています。
野町駅の改札口を入ると、オレンジ色の帯が入った2両編成のステンレスの電車がホームに停まっていました。この車両は1990年に導入された元東急の車両です。かつての東急時代に乗ったことのあるので懐かしさを覚えます。
野町駅のホームは短く、2両編成の電車がギリギリ収まる程度の長さしかありません。停車している電車の向こう側にももう1本の線路とホームが見えますが、そちらはあまり使われていない様子でした。
野町を発車した電車は市内の住宅地の中をゴトゴト走り、野町から2つ目の新西金沢でJR北陸本線に接続します。石川線で他の鉄道路線と接続しているのはこの駅だけです。
新西金沢を出ても引き続き住宅街の中を走りますが、だんだんと家並みが少なくなり、田園風景の向こうに山が見える、のどかな車窓風景になりました。
野町からおよそ30分で、この路線の拠点であり、車庫も併設されている鶴来に到着。ここから先があと2か月ほどで廃止になってしまう区間です。鶴来を出た列車は大きく右にカーブし、手取川の河川敷が見えてくると今度は左にカーブして中鶴来駅に停まります。左に手取川から取水した七ケ用水(しちかようすい)を見ながら最後のひと区間に歩みを進めると、左からは山が、右からは手取川が迫ってきて、その合間をカーブしながら坂を登ると、終点の加賀一の宮駅に着きました。廃止予定区間は鶴来から2駅、2.1kmという短さなので、あっという間に乗り終わってしまいました。
加賀一の宮駅に残るホーム跡 昔はこの先にも続いていた線路
加賀一の宮はホーム1面に線路1本の小さな駅です。電車の先頭部あたりのホームは、民家が迫っていてかなり細くなっています。
昔はこの駅から先、白山下駅まで16.8㎞の線路が続いていました。この路線は北陸鉄道金名線と言い、これは金沢の金と名古屋の名を一文字ずつとったもので、つまり金沢から名古屋までの路線を繋ぐという壮大な夢を表した路線名だったわけです。とはいっても、名古屋まですべて自力で線路を敷くというわけではなく、路線の計画は白山下から山を越えた岐阜県の白鳥までで、白鳥からは当時建設中だった国鉄越美南線(現在の長良川鉄道)に入って、国鉄路線に乗り入れることで名古屋まで到達しようという算段だったようです。
金名線は早くから利用客の減少に悩まされていたようで、1970年からは昼間の乗客の少ない時間帯の列車運行をバスで代行し、列車が走るのは朝晩だけという状態になっていたらしいですが、1983年10月の豪雨で鉄橋に損傷を受けて朝晩に残っていた列車も運転を中止して全列車がバスによる代行運転となり、そのまま列車が走ることなく、1987年に廃止となったとのこと。なんだか少し金名線がかわいそうに思えてきます。
加賀一の宮のホームから終端方向を見ると、線路はまだ少し先まで続いていました。もう1本線路が敷けそうなスペースを挟んだ向こう側には昔のホームの跡のような構造物が見えます。金名線があった時代は、おそらくこのホームも使われていて、この駅はホームと線路が2本ある、交換可能駅だったのでしょう。
石川線と金名線は、加賀一の宮を境に路線名こそ変わりますが、形としては1本のつながった路線なので、列車は直通運転を行っていたそうです。
風格ある加賀一の宮駅舎を出て 駅のまわりをひとまわり
加賀一の宮は無人駅ですが、日本建築の立派な駅舎がありました。
1940年(昭和15年)に竣工したという加賀一の宮駅舎は二階建て入母屋造りで、小さいながらも見ごたえのある立派なものです。この駅はその名の通り、加賀国一宮である白山比咩(しらやまひめ)神社の表参道にある駅で、特に年始は初詣客でたいへん賑わったそうですが、神社の玄関口として恥じないような立派な駅舎を建てようという気概が伝わって来ます。
傾斜した土地に建っていて、見る角度によっては背が高くも見えます。
折り返しの列車まで時間があったので、駅を出て線路の反対側に行ってみたいと思います。野町寄りから見た加賀一の宮駅。
「かがいちのみや」の駅名標と電車の組み合わせも、廃止後には見られなくなってしまいます。
ひとまわりして駅に戻って来ました。駅の軒下では梅干しのようなものが干されていて、のどかなローカル駅の風情を感じます。ホームから野町方向を見ると、駅を出てすぐに急なカーブの下り勾配が続いているのがわかります。
ホームは駅舎より少し低いところにあります。
できればもう少しゆっくりしたかったところですが、確か次の列車まで1時間ほど待たなければならなかったので、後ろ髪をひかれながら、折り返しの列車に乗って加賀一の宮を後にします。車窓から見えた夏草の生い茂る手取川の河川敷。
帰りは新西金沢駅で下車。
終点を目指し新西金沢を出発する野町行の列車。
北陸本線の懐かしの車両
新西金沢駅の目の前にはJR北陸本線の西金沢駅があり、北陸鉄道を降りた後はここからJRの普通列車を乗り継いで直江津を目指しました。
いまは第三セクターになってしまいましたが、この頃は古い国鉄型車両が活躍するJRの路線で、途中の糸魚川で見た大糸線のディーゼルカーとレンガ造りの機関庫、直江津駅で並ぶ北陸本線と信越本線の国鉄型車両など、現在では見ることができない懐かしの光景が当たり前のように広がっていました。
短い滞在時間でしたが、風格ある駅舎と静かな佇まいが魅力の加賀一の宮駅の現役の姿を見ることができ、思い出深いひと時でした。いまは鶴来までになってしまいましたが、オレンジの帯を巻いた元東急の車両に乗って、また石川線を楽しんでみたいと思います。
2009年8月