そこに線路があるかぎり

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【千葉県】<あの頃の鉄道風景> 房総半島の内陸を走るローカル線の終着駅 上総亀山駅を訪ねる〔木更津~上総亀山/久留里線〕(2010年)

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東京湾に面した町、木更津から、房総半島の内陸部に向けて走るJR久留里線は、首都圏のJRでは唯一の非電化路線でディーゼルカーが活躍しています。使用される車両は、現在は2012年に導入されたキハE130形車両に統一されていますが、それまでは国鉄時代に製造されたディーゼルカーでした。2012年まで運転されていたこれら国鉄ディーゼルカーは珍しい車両ぞろいで、この当時は久留里線でしか見ることができない車両も多くありました。車窓にはのどかな里山の風景が広がり、久留里線は珍しい車両に乗ってのんびりとローカル線の旅が楽しめる楽しい路線でした。2010年3月、その久留里線に乗って終点の上総亀山駅を訪れました。

久留里線について

JR久留里線くるりせん)は、千葉県の木更津から上総亀山まで32.2㎞を結んでおり、始発の木更津を除いて他の鉄道路線との乗換駅がなく、行き止まりとなっている路線です。もともとは半島を外房側に抜けて大原まで至る半島横断路線として計画され、大原から半島中央部の上総中野までを走る国鉄木原線とつながる予定でしたが、久留里線の終点の上総亀山と木原線の終点の上総中野の間の線路が建設されることはありませんでした。木更津と大原の1文字ずつをとって命名された木原線は、木更津の少し東京寄りにある五井(ごい)から来る小湊鉄道と上総中野で接続することとなり、列車の直通運転こそないものの内房と外房を結ぶ半島横断路線を実現、本来つながるはずだった久留里線は結ばれるべき相手が別のパートナーと結ばれたことで、行き止まり路線として残ることとなったというなんともいえない悲哀を感じる物語があります。現在では久留里線がJRとして存続している一方で、木原線はJR化後まもなく第三セクターいすみ鉄道に転換されています。

久留里線の線名は、木更津側から3分の2ほど進んだあたりにある沿線の中心となる町、久留里に由来するものです。城下町である久留里は湧き水の多い名水の里としても知られています。

一部路線廃止となる可能性も

2023年3月、JR東日本久留里線末端部の久留里~上総亀山 9.6km の今後についての協議を行いたいと、千葉県と君津市に申し入れたと発表しました。この区間は1日あたりの平均利用者数は55人、100円稼ぐためにかかる経費が1万9110円という状況だそうです。まずは「協議」とのことなので、すぐに廃止という結論になるわけではないのかもしれませんが、この数字を見る限りはかなり厳しい経営状況であると言え、打開策が見いだせなければ廃止になってしまう可能性も大いにあると思われます。

希少車両ぞろいだった久留里線ディーゼルカー

久留里線ディーゼルカーは、現在は2012年に導入されたキハE130 という形式に統一されています。それ以前は以下の3形式計13両が使われており、これらはすべて全国的に共通して使える車両を大量に製造することが多かった国鉄時代に造られた車両ながら、2010年当時では久留里線でしか走っていないという、希少な車両ばかりでした。

キハ30形

国鉄時代の1963年に登場した通勤型ディーゼルカーで、全部で106両が製造されました。キハ30形は両側に運転台があり1両でも運転できる車両ですが、同型で片側運転台のキハ35形、キハ36形とあわせてキハ35系と呼ばれ、都市近郊を中心に新潟から九州まで幅広い範囲で活躍しました。国鉄の電化の進展とともに活躍の場をどんどん狭め、久留里線に残ったキハ30形3両が、JRで最後のキハ35系車両となりました。

キハ37形

国鉄末期の1983年に登場した車両です。当時は次世代を担う新しいディーゼルカーとして位置づけられていたものの、国鉄の財政難などもあり、結局5両しか作られなかったレア車両です。5両のうち2両はJR西日本加古川線に、3両が久留里線に投入されました。加古川線の2両はその後山陰地方に活躍の場を移し2009年に引退しましたが、久留里線の3両は2012年の引退までずっと久留里線だけで活躍しました。久留里線での引退後は、3両全車が岡山県水島臨海鉄道に譲渡され、現在でも活躍を続けています。

キハ38形

国鉄末期の1986年から1987年にかけて製造された車両です。キハ35系の車体更新という位置づけで、車体は新しく造られたものの、走行関係の機器はキハ35系のものが流用されています。全部で7両しか製造されず、全車が八王子と高崎を結ぶ八高線で使用されていましたが、1996年の八高線の一部電化とディーゼル車両の置き換えとともに、7両すべてが久留里線に転属してきました。キハ37と同様、2012年の久留里線からの引退後は水島臨海鉄道に譲渡されています。

木更津の車庫で珍しいディーゼルカーたちを見る

久留里線の周辺にはJRの非電化路線はないため、久留里線の車両は久留里線専属となっており、その車庫は始発の木更津駅に併設されています。
内房線の下り列車で木更津に降りると、向かい側の久留里線ホームにはキハ30形が停まっていました。ちょうど木更津止まりとして到着した久留里線の上り列車のようです。この頃の久留里線のキハ30形は、国鉄一般色と言われる昔の塗装が復元されていました。

久留里線に乗る前に、駅の裏手にある久留里線の車庫を見に行きました。道路からでもとまっている車両が良く見えます。
左がキハ38形、右がキハ30形。キハ38形の色が久留里線の標準塗装です。

先ほど見えた車両の反対側の先頭に回ってみると、両方の編成とも、キハ37形が先頭になっていました。右にはキハ30形。

さきほどホームで見かけたキハ30形先頭の列車が車庫に入ってきました。この時点でJRに3両ずつしか存在していないキハ37形のうちの2両とキハ30形の2両が並んでいるという貴重なシーンですが、久留里線では日常の光景なのかと思います。

やがて奥から2番目に停まっていた編成が車庫を出て行きました。次の久留里線の下り列車になるようです。
残った5両をよく見れば、JR最後のキハ30形3両すべてが視界に入っていました。

木更津から久留里線に乗る

木更津駅に戻り、久留里線のホームへ。ホームからも車庫が良く見えます。

乗車する列車は先ほど車庫から出て行った2両編成。上総亀山側がキハ38形、木更津側がキハ37形という編成です。

キハ37形の車内には、長いロングシートが設置されています。どことなく国鉄末期の財政難を感じさせる、あっさりとした印象の内装です。(車内写真は別タイミングで撮影)

木更津から4駅目、横田で上り列車と行き違い。キハ38形が並びました。全13両中7両を占めるキハ38形は、久留里線の最大勢力。

横田から6駅進んだ久留里でも上り列車との行き違いのため少々停車時間がありました。久留里線で行き違いができるのは横田と久留里の2駅だけです。
上りホームから見た、乗車中の下り列車。

こちらは上り列車。キハ38形の2両編成でした。

乗車中の下り列車の脇を上り列車が木更津に向けて走って行きました。

木更津から久留里までの運転となる列車もあり、久留里から先は運転される列車本数が減ります。確かに久留里を出ると一層ローカルムードが増した感じがします。

久留里の次の駅、平山に停車中。後方を見ると、春まだ浅い房総半島の山の中に今走ってきた線路が続いているのが見えました。

久留里から3駅、木更津から1時間少々で、終点の上総亀山に到着。

久留里線の終着駅 上総亀山

上総亀山駅の近くには、ダム湖である亀山湖、その湖畔の亀山温泉があり、観光資源に恵まれています。

今走ってきた線路を見れば、線路端の菜の花が夕日を浴びて輝いていました。駅の外れには、木更津から32㎞を示すキロポストがあります。

ホームは1面でその両側に線路がありますが、黄色い点字ブロックは片側だけにしか設置されておらず、いま列車の停まっているこのホームしか使われていないのかとも思いますが、手前の線路は銀色に輝いており、この線路も現役であることを示しています。

終点側を見れば、駅から少し線路が続いた先に車止めがありました。

小さな木造駅舎を出て振り返れば、改札口の向こうに停車中の列車が見えます。

上総亀山駅前の風景。右が駅舎で、道の向かいには商店が並んでいますが、シャッターは下りており、駅前通りに人影もありません。

ひと昔前の風情を感じる手描きの観光看板はとても味があります。久留里線に乗ってここに観光に来るお客さんはどれくらいいるのでしょうか。

駅の外からみた上総亀山駅。細いホームは、列車2両半くらいの長さでしょうか。

踏切を渡って駅の反対側に行ってみます。小さな公園があり、そこからは夕陽を浴びて上総亀山駅に佇む列車が見えました。

少しすると踏切が鳴りだし、列車は木更津に向けて戻って行きました。

しばらく散歩して駅に戻ると、先ほど見送った列車が久留里で行違ったはずの、次の上総亀山止まりの下り列車がやって来ました。キハ30形が先頭です。

駅に着くと運転士さんから駅員さんにタブレットが渡されます。タブレットは単線区間で使用される通行票で、古いアナログ式の安全システムです。久留里線ではJRでもかなり遅くまでタブレット式が使われていました。

 

久留里線の終端部の車止めごしにみた上総亀山駅

列車は到着したときの停車位置から車両半分くらい前進し、キハ30形が半分ホームからはみ出した位置に停車しました。

 

この列車はキハ30+キハ38+キハ37という、久留里線に在籍する3種類の車両全種類を1両ずつ繋いだ、贅沢な3両編成でした。

 

上り列車に乗って木更津に戻る

最後尾となるキハ30形に乗車し、木更津に戻ります。

横田駅で少々停車。

ホームの菜の花が満開です。

夜の駅に停まる古いディーゼルカーもなかなか絵になるものです。

下り列車がやって来ました。タブレットが使用されている区間の行き違い駅では、先についた列車から回収したタブレットを後に着いた列車の運転士さんに渡すと同時に、後に着いた列車からたタブレットを回収して、それを先に着いた列車の運転士さんに渡すので、先に着いた列車が後に発車することになります。

夜の久留里線の旅も終わり、木更津に戻って来ました。停車する駅すべてが鄙びた雰囲気だったため、木更津駅の明るいホームに、ずいぶんと都会に来たなと感じさせられます。

木更津からは内房線普通列車で千葉へ。ブルーとクリームに塗り分けられた113系は、当時の房総では当たり前の車両でしたが、今見るとなつかしさを感じます。

東京から気軽に訪れることができる近さの久留里線は、のんびりとした風景と希少な車両が魅力の楽しい路線でした。個性豊かなディーゼルカーたちは引退してしまいましたが、車窓風景は現在も変わらず旅人の目を楽しませてくれるでしょう。

 

2010年3月