ボーイング787型機(B787)が商業運航デビューしたのは2011年10月26日、ANAの成田ー香港間でのチャーター便でのこと。その後、2011年11月1日から、やはりANAの手によって羽田ー広島、羽田ー岡山の2路線で、世界で初めての定期便として運航が始められました。それから10年。不具合による運航停止などの困難もありましたが、今やB787は世界中の空で800機以上が活躍する、人気の飛行機になりました。
2011年12月、定期運航開始から1か月少々経った頃の羽田-広島線に乗り、ワクワクしながら新型機での空の旅を楽しみました。
- 開発から世界初の商業運航まで ANAはB787のローンチカスタマー
- 製造には日本メーカーも数多く参加 革新的次世代機と言われたB787
- セントレアとB787
- デビュー間もないB787 に乗って広島へ
- 今ではなつかしい カラフルな色に塗られた広島地区の国鉄型車両
開発から世界初の商業運航まで ANAはB787のローンチカスタマー
ボーイング787型機(B787)は、世界有数の旅客機メーカーとして知られるアメリカのボーイング社において、2003年末に取締役会で顧客への提示が承認された(つまり販売開始にGoサインが出たということだと思います)、長距離用の中型ワイドボディ機です。愛称を「ドリームライナー」といい、従来の旅客機に比べ革新的な技術が随所に盛り込まれた、新時代の旅客機として開発されました。
新型旅客機の開発にあたっては、最初の購入者が「ローンチカスタマー」として、メーカーと共に開発に携わり、基本仕様の決定に大きな発言力を持つことができますが、B787は2004年4月、世界に先駆けて50機を発注したANAがローンチカスタマーとなりました。ボーイング社のウェブサイトによれば、ANAの発注を受けてB787の開発が正式に決定されたということなので、ANAあってのB787とも言えるでしょう。そして2011年9月、世界で初めてANAに納入され、2011年10月にはANAにより世界で初めての商業運航が行われています。
ANAに納入された最初の2機は世界初就航を記念してANAの標準カラーとは違う特別塗装とされました。機体前方には大きく「787」のロゴが入れられ、機体後方は濃紺に白のメッシュが入るこの特別塗装は、航空ファンからは「サバ」と呼ばれることもあったそうですが、確かに鯖な感じはあります。
3番目に納入された機材以降はANA標準塗装の予定だったところ、787をアピールするために「787」のロゴを入れることとなりましたが、それが決まった時点ですでに標準塗装に塗られてしまっていた何機かは、日本に到着してからANAの手によってこの「787」ロゴが追記されました。
濃紺の特別塗装も、787ロゴ入り標準塗装も、その後、他のANA機と同じ塗装に塗りなおされ、現在では見ることができません。
製造には日本メーカーも数多く参加 革新的次世代機と言われたB787
B787で従来機と大きく変わった点の1つは、機体の素材です。従来はアルミなどの金属製だった素材は、B787では炭素繊維プラスチック等の複合素材に変わり、全体の50%以上がこうした複合素材になっているそうです。この炭素繊維は東レ製で、その素材を使った主翼は三菱重工、前方胴体ほかは川崎重工、胴体と主翼を結合する中央翼ほかはSUBARUで生産されており、1つの機体の35%の部分を日本メーカーが生産しているということで、B787は日本とのつながりの深い機材です。
炭素繊維の採用によって機体の重量は軽くなったため燃費も良好で、また、金属を腐食させることで飛行機の大敵だった水分にも強くなったことで機内の湿度を上げることができるので、長距離フライトでも乗客が快適に過ごせるようになりました。
B787の主なメリットは以下のとおり。(ANAのウェブサイトより)
・機体軽量化効果と併せて燃料効率を従来同規模型機よりも20%向上させ、排出ガスは一酸化炭素を約20%、窒素酸化物も約15%削減。
・中型機ながら15,000㎞超の航続が可能となり、従来は大型機でしか就航できなかった路線(欧米路線)にも就航可能。
・窓の大型化、広く高いアーチ型天井、LED照明等による開放感のある客室設計。
・機内の気圧、湿度をより地上に近い状態に設定。
・高性能エンジンにより、機内および機外の騒音を低減。
セントレアとB787
日本メーカーが製造に参画しているB787ですが、日本で生産した大型の部品を、アメリカのシアトル近郊にある組み立て工場に運ぶために、「ドリームリフター」という大型貨物機が使用されています。ジャンボジェットとして知られる大型機、ボーイング747を改造して誕生したドリームリフターは、日本では愛知県のセントレア(中部国際空港)から飛んでいます。これは、日本メーカーの生産工場が愛知県付近に多いためで、メーカーの工場から船で運ばれてきた大型部品を飛行機に積み替えるという貨物の動線もしっかりと整備されています。
このドリームリフターは、ずんぐりとした特徴的な形をしているだけではなく、大型貨物積み下ろしのために、尾翼近くの胴体が、機体左側の壁を軸に横に折れて開くというおもしろい仕組みになっており、とてもユニークな飛行機です。
以前セントレアに行ったときに駐機しているのを見かけましたが、あいにく荷役の様子は見ることができませんでした。
ドリームリフターの就航地ということに加えてもう1つ、セントレアとB787の深い関係があります。それは、B787の1号機がセントレアに寄贈されたということ。2009年12月15日に初めて空を飛んだB787は、試験機ゆえの宿命か、試験を重ねて改良された量産機に比べると性能が異なることとなってしまい、もともと引き渡される予定だったANAには引き渡されず、B787のメイン部品の生産地としてゆかりが深いセントレアに寄贈されることになりました。2015年6月22日のセントレアへのフライトを最後に退役した1号機は、しばらくは空港の片隅に置かれていましたが、2018年に空港に隣接してオープンした複合商業施設「FLIGHT OF DREAMS」で展示されることになり、現在ではその機体を間近で見ることができるそうです。
デビュー間もないB787 に乗って広島へ
いまからちょうど10年前の2011年11月1日、羽田ー岡山を朝に1往復、羽田ー広島を夕方に1往復、計2往復の運航をもって、世界で初めてのB787定期旅客便の運航がANAによって始められました。その後、2機の機材を使って、羽田ー岡山を2往復、羽田ー広島を2往復の1日4往復のB787定期旅客便が設定されました。羽田から札幌や大阪、福岡などの旅客数の多い路線ではなく、岡山、広島便からスタートしたのは、新幹線と強い競合関係にあるこの2路線に世界初運航の新型機と言う話題性の高い機材を投入して、新幹線からシェアを奪うことを狙ったのではないかと言われています。
2011年12月、運行開始から1か月少々が過ぎたB787に乗って広島に行く機会に恵まれました。羽田空港の出発ロビーに入り、まずは岡山行きとして出発していくB787をお見送り。
岡山行きが出発すると、私が乗る7:50発広島行き673便も搭乗が始まりました。まだこの頃はB787は2機しか就航していなかったので、いま見た2機がこのとき世界で商業運航されているB787のすべてということになります。
ボーディングブリッジの小さな窓から覗くと、787の大きなペイントが目の前に広がり心が躍ります。機内に入ると、国内線ながら全席モニターつきのシートが並んでいました。大きな窓とブルーのライトで照らされた天井など、新しい飛行機であることが感じられますが、シートの色など従来のANAの機内のイメージを踏襲している部分も多く、いままでの飛行機とぜんぜん違う!という、わかりやすい印象の違いなどは思ったよりも少ないかもしれません。
就航ブームもひと段落したのか、はたまた閑散期だからか、機内後方には空席も多くありました。
羽田を離陸、冬空の東京の上空を西へ向かいます。まだこの頃は離着陸時の電子機器の使用が禁止されていたため離陸時の写真は撮れませんでした。
森と湖が見えたのは、多摩湖、狭山湖のあたり。
朝日に輝く相模湾を背景に、シルエットを浮かばせる富士山。
甲府盆地や雪をかぶった南アルプスなど、この日は景色が良く見えました。光の当たり方や見る角度によっては、窓ガラスが少し虹色に見えたりもします。
枕カバーには We Fly 1st のキャッチフレーズが。
良く見えませんが、紙コップにも We Fly 1st のキャッチフレーズが入っています。
モニターを見ていて面白いと思ったのが、シートtoシートメッセージという機能。連れと席が離れてしまっても、これを使ってコミュニケーションできるというものですが、現在の飛行機では機内Wifi も充実しているので、手持ちのスマホで充分やりとりできると思います。10年ひと昔です。
窓には日除けシェードがなく、窓下のボタンで光の透過度を調整できてしまうという機能には驚きました。途中で止めれば、サングラスのように光は遮断しつつも窓の外が見えます。
完全に見えている状態と、完全に見えていない状態。ここまでしっかり暗くなるとは驚きました。
使われてはいませんでしたが、機内にはバーカウンターもあり、その部分の天井もなんだか少し未来的な感じになっています。
この最初に運航が始まった2機は国内路線から飛び始めましたが、近距離国際線に使用できる仕様になっているとのことで、各座席にモニターがあるのも、バーカウンターがあるのも、国際線での使用を見越しての設備だったのかと思いました。実際にこれら2機は、B787の増備が進むにつれて本格的に国際線での活躍を開始しました。
トイレはウォシュレットつき。B787が初のウォシュレット装備の飛行機になる予定でしたが、開発スケジュールの遅れにより、初のウォシュレットつき飛行機の座は他の飛行機に譲ることになってしまったそうです。
羽田から1時間30分ほどで広島空港に到着。
広島空港は山の上にあり、滑走路進入の誘導灯が巨大な鉄骨建造物として山から突き出しているのが、空港連絡バスから見えました。
今ではなつかしい カラフルな色に塗られた広島地区の国鉄型車両
広島空港にいちばん近い駅、JR山陽本線白市駅でバスを降り、列車に乗り換え。山陽地区のJRの電車が塗装コスト削減を目的とした黄色一色への塗り替えが始まったころでした。
白市から広島までは普通列車で45分ほど。到着した広島駅には、まだ黄色に塗り替えられていないカラフルな電車たちを見ることができました。どの車両も国鉄時代から活躍する古いものですが、いまでは新型車両に置き換えられて、これらの車両はすっかり姿を消してしまいました。
広島は路面電車の町。古い車両から新しい車両まで、さまざまな路面電車が活躍しています。
その日の夕方、再び広島空港から飛行機に乗り、夕暮れの富士山を見て羽田に戻りました。
羽田空港の片隅には、B787をアピールする展示がありました。
クリスマスの飾りつけに、もう年の瀬も近いことを感じさせられます。
登場から10年、トラブルによる運航停止など心配なできごともありましたが、世界中の航空会社で使用され世界中の空を飛ぶB787が末永く活躍してくれることを願っています。
2011年12月