長野県北部にある五色温泉は、天候や気温によってお湯の色が変わるといわれていて、風格のある木造の内湯や、雪景色を満喫できる開放的な露天風呂の風情もたいへん魅力的な温泉です。ここへのアクセスは、長野電鉄の須坂駅からバスとなりますが、その須坂からは屋代線という路線が分岐していて、この屋代線が2012年3月をもって廃止されることになっていました。そこで、屋代線と五色温泉の雪見露天風呂を一緒に楽しめる最後のチャンスと、2012年3月に訪れてみることにしました。
山の中の一軒宿 五色温泉
五色温泉は長野県の高山村というところにあります。ここからつづら折りの山道を登れば志賀高原に至り、また、直接結ぶ道はないものの、山を挟んで群馬県の万座温泉や草津温泉とも向き合っている場所です。
五色温泉へのアクセスは、長野電鉄の須坂駅からバスに乗りおよそ40分、終点の山田温泉から車で10分ほど。山田温泉からは宿の送迎車のサービスがありました。
まだ当時は長野止まりだった新幹線を終点の長野で降り、駅前の地下にある長野電鉄長野駅から電車に揺られて約30分、須坂駅に到着。
須坂は、長野から湯田中を結ぶ長野線と、須坂から屋代を結ぶ屋代線が分岐する長野電鉄の拠点駅です。この屋代線が2012年3月を以って廃線となったため、長野電鉄は現在では長野線の1路線だけになっています。
須坂には車庫も設けられていますが、元小田急ロマンスカー、元東急田園都市線、元JR成田エクスプレスの車両が仲良く並んでいて、いったいここはどこの路線なのかと不思議な気分になります。これらの車両は元の職場を引退した後、長野電鉄で第二の人生を送っているのですが、ほぼ元のままの塗装でありながら、長野電鉄のシンボルカラーの赤を基調とした塗装のためか、統一感がある気がします。
このほかにも、長野電鉄では元営団地下鉄日比谷線の3000系も活躍しています。
駅の外れには、長野電鉄を引退した古い車両が留置されていました。
茶色に白い帯の車両は特急に使われた2000系。この車両は晩年はクリームに赤帯という塗装になっていましたが、引退を前に昔の塗装が復刻され、その色のまま引退を迎えました。
クリームと赤の塗り分けは10系。1980年製というのでそれほど古くはなく、いまも活躍している元東急8500系と同年代、元営団3000系よりは若いのではないかと思いますが、1編成2両の小所帯だったためか、2003年、早々に廃車されてしまいました。
茶色い2000系は、その後、廃止された屋代線の信濃川田駅跡で保存されていましたが2019年に解体、10系はこのまま須坂駅で保存ののち2017年に解体されたため、現在ではどちらの車両も見ることはできません。
須坂駅でいろいろな車両を見て楽しんだあとはバスに乗り山田温泉へ、そして宿の送迎車に乗り換えて五色温泉の一軒宿、五色の湯旅館に到着しました。
味わいのある木造の内湯と解放感のある露天風呂
宿に着いたらさっそく温泉を楽しみます。木造の内湯の湯屋の味わいは素晴らしく、また、露天風呂も開放的で雪景色が思う存分楽しめ、何度でも、そしていつまでも入っていたくなる最高の温泉でした。お湯の色は、内湯は少し緑がかったような色、露天風呂は墨色というか、そんな色あいに見えました。
翌朝、起きたらまずお風呂へ。朝日を浴びたお湯の色は、昨夜よりも少し明るい色合いに見えました。
なお、お風呂はその後改装され新しいものになったそうで、残念ながら2022年現在はこの味わいのある内湯も露天も、もう入ることができないようです。
品数も多くおいしい朝食をいただき、宿の周辺の雪景色の渓谷風景を楽しんだら、再び送迎車で山田温泉まで送っていただいてバスに乗り換え、須坂駅に戻ります。
栗の町小布施で栗おこわのランチ
須坂から電車で2駅の小布施(おぶせ)は、栗の産地として有名です。今日のランチはここで名物の栗おこわを食べることにしました。
須坂駅ホームから車庫を眺めると、長野電鉄の現役車両が勢ぞろい。
上屋内には、前日も見えた元成田エクスプレスと元小田急ロマンスカーに加え、長野電鉄オリジナルの特急用車両2000系の姿も。この2000系は、前日に見た茶色い塗装の廃車と違いクリームと赤の塗り分けになっており、現役で動いている最後の1本の2000系でした。せっかくなら乗りたいところですが、いま車庫にいるということは、残念ながらいまは乗れないということだけがハッキリしています。
元地下鉄日比谷線3000系の、長野電鉄3500系。日比谷線時代はステンレス一色(一色といっても色が塗られていたわけではなく、ステンレス地そのままですが)でしたが、長野に来て赤いラインが入れられました。
須坂から乗車した普通列車は、元東急8500系の長野電鉄8500系。小布施に到着し、行き違いをした対向列車も8500系でした。
小布施駅から歩いて10分ほどのところにある竹風堂で、名物の栗おこわをいただきます。
竹風堂の前には、トンボとカブトムシのオブジェ。
昼食を食べて駅に戻る途中、ふと見たお店の看板は、狙ってか偶然か、イケメン俳優の名前に…。
小布施駅に戻って来ました。ホームから見える山々は北信五岳。
やってきた電車はふたたび8500系でした。東急時代はおしゃれなニュータウンや都会の地下を走っていた車両ですが、ここでは雪山をバックにのびのびと走っています。
廃止まであとわずか 屋代線に乗る
須坂からは廃止目前の屋代線に乗って屋代に向かいます。
ホームに待っていたの3000系は、赤帯が剥がされ、日比谷線時代のステンレス一色のいでたち。これは懐かしいです。
廃止目前とあって、屋代線の電車は立客もいるほどの混雑でした。座席は確保できましたが、窓を背に座るロングシートなので景色が見にくいのが難点です。立っている人も多いので反対側の車窓も見づらく、かといって首をまわして後ろを見続けるのもつらいものです。振り返ったり前を向いたりを繰り返しながら、なんとか景色を眺めていました。
屋代線に沿って上信越自動車道が続いており、車で走っているときに屋代線の姿も見えたことがありますが、沿線は人口希薄地帯というわけではなく、小さな町がいくつもあります。それなのに廃止になってしまうというのは、モータリゼーションが進んでいることと、この屋代線が県都長野市から千曲川を挟んだ対岸の2都市を結んでいて、あまり人の流動と合ったルートではないからということでしょう。
列車は混雑したまま、終着の屋代に到着。ここはしなの鉄道との乗換駅です。
しなの鉄道は元JR信越本線で、長野新幹線開通と同時にJRから切り離され第3セクターのしなの鉄道になりました。
かつては上野から高崎線、信越本線を通り、この屋代から長野電鉄に乗り入れて湯田中まで直通する急行列車が設定されていたことがありました。信越本線と長野電鉄は長野駅でも乗り換えができますが、長野電鉄の長野駅は地下にあり、信越本線とは線路がつながっていないため、直通列車にとって屋代線(当時は河東線という路線名でした)は重要な存在だったと言えます。やがて直通列車も廃止され、ローカル輸送だけが使命となった屋代線は乗客も減り、ついにこの年、路線廃止の時を迎えたのでした。
木造の上屋と待合室がある屋代駅は、いかにも地方私鉄の駅といった風情。そこに、広尾や六本木、日比谷や銀座などバリバリの都心を走っていた地下鉄車両が停車しているというのも面白い光景です。
しばらく停車したのち、列車は須坂に向けて折り返していきました。
早いもので、あれからもう10年が経ちました。今ではもう、屋代線も、須坂駅の廃車体も、五色温泉の風情ある湯舟もなく、時代が変わったことを感じさせられます。そのいっぽうで、五色温泉の素晴らしいロケーションと良質のお湯や、長野電鉄から見る山など、いつまでも変わらないものもあります。変わるものと変わらないもの、どちらも大切にしながら、移りゆく時も楽しみつつ、また信州の旅に出かけたいものです。
2012年3月